僕は滋賀県の湖西が好きで、よく線路に沿ってブラブラと徘徊します。Youtubeでぶらり旅をやろうと六本木君が言ってくれて、ポートアイランドを一周してから次は湖西線近江舞子駅を歩くこととなりました。
しかし、そこはさすが滋賀県、琵琶湖以外に何もありません。この「何もない」寂れた雰囲気こそが滋賀県の魅力だと僕は思うんです。大体保津峡にしろポートアイランドにしろ、何かあったか?と言われたら何も無いわけで、おじさん二人が企画するぶらり旅なんかそんなものでしょう。
琵琶湖の海水浴場を抜けて民家に突入したあたりで、六本木君がぶつくさと文句をたれ始めて―――いつもの楽しいぶらり旅となってきました。旅の目的だとか、道中に何も無いだとか、30歳を超えて絶賛迷走中のおじさんの人生そのものじゃないですか?
道中にはありがたいお言葉が。
仏教…宗教といえば日本ではあまりいいイメージがありません。世間を騒がせたカルト教団や、政教分離とは名ばかりの宗教団体、僕はそれでも宗教に興味があります。原始仏教の経典スッタニパータに、「犀の角のように、ただ独り歩め」という言葉があります。犀の目前に聳える立派な角、泰然自若とした面持ちで角を見据え、悠然と草原を歩む犀の姿に、古の高僧たちは何を想ったのでしょうか。
生きること、人生は突き詰めれば孤独なものです。大人になるにつれて、周りにいた人達は皆生き方を見つけて、自らの道を歩いていきます。もし自分の目の前に決して離れることのない犀の角の如き確固たる信念があれば、たとえ一人で歩むともその歩みは決して道を離れることはないでしょう。仏教では犀の角を修行といい、その先にあるものを悟りと表現したのでしょうか。そしてスッタニパータはこうも言います。
“もしも汝が賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者を得たならば、あらゆる危難に打ち勝ち、心喜び、気を落ち着かせて、彼とともに歩め”、と。
近江今津を出て、比良駅を通過したあたりで、アクシデントすらないこの状況では動画も作れないということで作戦会議。次の志賀駅でいったん打ち止めを決めたところで右手に目をやると、遥か蓬莱山に連なるロープウェーの姿が。志賀駅まで歩いて、観光案内を見ると「日本一の絶景」琵琶湖バレーと書かれています。この後僕たちが手にするであろう「日本一の絶景」、それがどんな結末を迎えるかも知らずに、目的地をやっと見つけたと安堵したのでした。