先日須磨アルプスで遭難しかけましたが、懲りずに二日連続の山登り旅行を敢行してしまいました。登山前から全身筋肉痛で、しかも目標はありがたい石段で有名な愛宕山です。安易に企画してしまった後悔の念に苛まれながら、嵐山まで自転車で行き、そこから清滝行のバスに乗って登山が始まります。
「今でしょ!」で有名になった林先生の所属する予備校に今井先生という名物英語講師がいます。僕は学校の勉強とは無縁なので、直接授業を受けたことはありませんが、今井先生のブログは分量も凄くて読みごたえがあります。そのブログの中で、「一円玉貯金」なる勉強法が紹介されています。英語の文章を音読するたびに一円玉をペットボトルに入れて、一円玉で一杯になったペットボトルが何本も並んだ時、その英語の実力や如何に、というわけです。
基礎力の養成こそが勉強の王道であり、決して近道はないと今井先生は言いますが、まさに学問、スポーツ、仕事、あらゆる事物に通用する真理だと僕は思います。愛宕山山頂への道のりは過酷で厳しいです。石段を飛ばして進んだりすることはできません。景色も変わらず、開けた道すがら、京都の街並みを一望できる、などということもありません。退屈で、しんどくて、単調な石段がただひたすら目の前に続くだけです。
しかし、そこで少し目を凝らしてみると、その石段一つ一つにも趣があります。多くの参拝者を誇る愛宕山の登山道は踏みしだかれ、足元は堅く安定しています。何百年と鎮座する大樹の根が道全体を覆うまでに根を張り、登山道をより堅固なものとしています。先人たちが幾度となく往復した神聖なる道を、今まさに僕たちも歩いているのです。
“堅質にして大廈高楼の基礎たる任務を果たすものは石なり”とは永平寺73世熊澤泰禅貫首による「石徳五訓」の一です。愛宕山の石段一つ一つが積み重なり、僕たちの目指す愛宕神社への道のりを確かなものへとしているのです。そしてそれは物質的な意味に決して留まらず、人生の指針となる生き方への深い洞察を与えてくれるのでした。
勉強、仕事、趣味、これならば世間に通用するというものを持つことは、難しいです。それを手に入れるための道のりは愛宕山山頂への道のりと似ます。道すがら何度ウーバータクシーを呼ぼうかと弱音を吐いたものです。やがて僕たちの目の前に、愛宕神社がその姿を現しました。1,000mもの山頂によくもこのような立派な神社が建立されたものです。先日から続く苦難の道のりを思い起こして、胸が熱くなる二人なのでした。
“雨に打たれ、風にさらされ、寒熱に耐えて悠然動ぜざるは石なり”今まさに石徳を体得し、石のような気性を以て物事に臨もうと、心に誓い愛宕山を後にしました。