2021年4月4日。雨模様の空を部屋から眺めつつ、今年も桜の季節を逃してしまったなぁと思いながら、特に何をするでもなしボーっとしていました。少しピークは過ぎたものの、京都には遅咲きの桜で有名な仁和寺があります。六本木君のいない日ですが、徘徊動画だけでも撮ろうかとHPを見てみると、苑内での動画の商用利用禁止とあり萎えてしまいました。
四季鮮やかな日本では、目まぐるしく僕たちを取り巻く風景は変わります。特に印象的なのは春のこの一瞬を彩る桜ではないでしょうか。特に満開に花開いた桜が儚くも散る様に一抹の滅びの美学を感じて感慨深いのは、皆同じところではないかと思います。かの有名な平家物語の序文「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」は日本人の心を通底する死生観を見事にあらわした名文ではないでしょうか。
ただ何もない琵琶湖に架かるただ長いだけの琵琶湖大橋を渡った先には、現代の生きる廃墟として世を賑わしたピエリ守山があります。当初は湖西から琵琶湖大橋を渡って訪れる買い物客を狙っていたのでしょうが、琵琶湖大橋を自動車で往来するにも料金がかかります。目論見は見事に外れ、テナントも埋まらず、まるで生きた廃墟だ。となってしまったわけです。しかしその廃墟感が話題を呼び、リニューアルオープンを経て訪れる人も徐々に増えていったようです。
廃墟が多くの人の心を掴むのは、時代を超えて人類が幾度となく経験してきた「盛者必衰の理」を感じさせてくれるからだと思います。僕自身も廃墟が好きで、廃墟や廃村探訪の動画をよく見ます。六本木君がOKをくれれば、廃墟徘徊動画を撮ってみたいとも思っています。
今手元にある「禅語百選」の5番に「雨ならずして花猶落つ。風無くして絮自ら飛ぶ」という禅語が紹介されています。著者である松原泰道和尚はこう解説します。“「無常」というと、とかく花の散るのを雨風の所為と感じるのですが、それは誤りです。花は咲いたとき、すでに散るときの一歩を踏み出しているのです。散る因は内に実存しているので、雨風は助縁(間接的表現)にすぎないことをこの語句が教えています”
旅動画を始めて、あそこに行こう、ここに行こうと六本木君と語ります。一度訪れた場所を訪れることはそうないことでしょう。ともすれば人生を終えるその日まで二度とその地を踏むこと叶わないかもしれません。お遊びで撮ったしょうもない動画の中に写った数え切れない草木や人の営みも、時代を超えてやがて消え去る運命にあります。雨風が強まる春の一日を窓際で物思いに耽りながら―――僕たちはそんな中でこそ旅の妙味を感じられる感性豊かな人間でありたいと、そう思ったのでした。