今日は地元の桜づつみ公園を歩いてみました。今から30年前、僕がちょうど物心つくころ、川沿いの土手(堤防)が立派な公園となり、アスファルト舗装された道には桜の木が植えられました。春になると桜は満開に咲き乱れ、公園を訪れる地元の人を桜吹雪で迎えてくれます。
30年、満開に花開いては散る桜とともに僕は育ちました。やがて地元を離れ、慣れ親しんだ公園と接する機会もめっきり減ってしまったので、改めて公園を一周してみました。公園を歩くと実に様々な変化に驚かされます。整備されていた公園は時の経過とともに徐々に雑草に覆われ、川に目をやるともはや歩く場所すらありません。
以前は地元の有志によって川や公園の草刈りが行われてきたのですが、次代の担い手は徐々に失われていっていることが如実に感じられます。既に地元の商店街は消え去り、夏祭りも店舗の出店はなくなりました。毎年夏休みに友人たちと公園にたむろして、テントを張ったあの日を思い起こすと、「全ての歴史は過去となる」という世の必定を実感せざるを得ません。
そして人口減の止まらぬ田舎の土地に雨後の竹の子の如く現れ始めたのが、太陽光パネルです。昨今賃貸借契約期間の上限を50年とする法改正がなされた背景には、こういった設備の敷地利用のための需要増加なども背景としてあるようです。新型コロナウィルスによる景気減退時期にインフラ系ファンドを保有していたのですが、株式ほどの下落に見舞われなかったのが印象的でした。敷地利用が何の活気も生まない太陽光パネルとは、少し寂しい気もします。
「卵を一つの籠に入れるな」は古くギリシアの時代のリスク分散に関する格言です。現代で最も成功した投資家であるバフェットは「卵を一つの籠に入れてそれを注意深く見守れ」といいます。そしてバフェットの師であるグレアムは著書「賢明なる投資家」のなかで、防衛的投資家に対して“もしも最高の株を失敗なく選べるのならば、分散投資は損になる”と付言したうえで、“人の意見に惑わされることなくたった一つの株に集中させず分散させなさい”と言っています。もちろん僕自身は最高の株を失敗無く選ぶなど到底できないので、たくさんの銘柄を分散させて持つようにしています。
人生とは答えのない道程を逡巡する長き旅です。先の見えない道すがら、ちっぽけな灯を手に前に進まなければなりません。たくさんの籠(youtube、ブログ、ツイッター、フェイスブック、インスタグラム、Tiktok、テラスハウス、PornHub)にたくさんの卵を入れて、今日も人生を楽しいものにしていこうと、そう思ったのでした。